島津新八郎

c0168955_7485085.jpg▼明治維新を実現した戊辰戦争で薩摩藩は新政府軍の主力として各地で戦った。藩内から従軍した将兵は銃隊42小隊、砲隊6隊、軍艦2隻の総勢約7000余人に及ぶ。1年半の戦闘の結果、死者が570~580人ほど出たという。▼その中に島津一門の戦死者がただ1人いる。島津新八郎/1839~68年である。新八郎は宮之城島津家の次男家という分家の当主。宮之城家2代島津久元の次男・久茂から始まる家で、家格は一所持格と高い。はじめ姶良郡蒲生北村を私領とし、のち曽於郡恒吉坂元村を領した。知行高は幕末には614石だったという。▼新八郎の戦死のいきさつはどのようなものだったのか。新八郎が戊辰戦争に従軍したのは終盤に近い明治元年8月。新八郎は外城の郷士で組織された番兵3番隊の小隊長として、同月3日、鹿児島を船で進発した。向かっ‥‥ 続きを読む♂
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by tomhana0901 | 2013-07-15 10:12
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