伊賀崎道順 《生没年不詳》

c0168955_7485085.jpg▼通称は「楯岡の道順」伊賀楯岡の生まれだったのでそう称したらしい。伊賀流忍術49流派の開祖とも言われている。 道順は伊賀忍者の中で中忍/ちゅうにんと言われるクラスの人で、六角義賢や徳川家康に仕えて活躍した。▼同じ伊賀忍者でも、有名な服部半蔵や百地三太夫は上忍/じょうにんと言われるクラスで、組織のトップの地位にあったが、道順はその下の中忍であり、これは会社でいうと中間管理職みたいなもので、現場に行って指揮をするような役だった。▼その下の下忍/げにんがよく映画やドラマで出てくるようないわゆる一般的な忍者で、実際に潜入や破壊工作をしていたようだ。▼道順は伊賀忍者の中でも名人と言われ名高かったようで、著名な忍術書『万川集海』には伊賀流忍術の名人11人の1人に挙げられているし、古文献『伊乱‥‥ 続きを読む♂
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# by tomhana0901 | 2013-07-07 14:47

樺山玄佐夫人・御隅

c0168955_7485085.jpg▼平松神社の宮司を務める樺山久孝氏の久孝氏は島津氏の異姓分家樺山氏の直系子孫。同氏は鎌倉時代後期の島津氏4代忠宗の5男資久から始まる。歴代当主の中では武将にして歌人でもあった8代善久が有名である。▼久孝氏のご好意で樺山家に伝来する秘蔵の史料/古文書、絵画、系図などを拝見させていただいた。膨大な量の史料の中で目を引いたのは歴代当主を描いた数幅の肖像画である。特に善久とその夫人が左右に並んだ夫婦像が興味深かった。▼県内に現存するこの時代の肖像画で、夫婦像あるいは女性の肖像画は大変珍しいのではないか。ほぼ同時期の女性の肖像画では他に亀寿/持明院、島津義久3女のものがあり、幕末まで伝来していたことは確認できるが、おそらく廃仏毀釈のために消滅している。▼それだけに、現存するこの肖像画‥‥ 続きを読む♂
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# by tomhana0901 | 2013-07-07 14:46

陣幕久五郎

c0168955_7485085.jpg▼昭和最後の名横綱・千代の富士は引退後、はじめ年寄・陣幕じんまくを襲名した。陣幕とは幕末の大横綱・陣幕久五郎にちなむ。この陣幕は薩摩藩お抱えの力士で、幕末期に薩摩藩と密接な繋がりがあった。▼本人の自伝「陣幕久五郎通高事跡」から、陣幕は本名を石倉槇太郎といい、出雲国意宇郡下意東村の農家に生まれた。幼少の頃から身体肥大にして相撲を好めるという訳で、相撲取りを目指していた。▼18歳の時、大坂相撲の一行が松江に来た時、腕力に自信がある陣幕は飛び入りで参加。初日、2日目と見事に勝ちを収めた。しかし、2日目の相手八角にかんぬきを決められ、左腕を骨折してしまう。完治の見込みがないと思われたが、名整骨医のおかげで全快したという。▼19歳の時、尾道の初汐久五郎の弟子となり、黒縅のしこ名を名乗り‥‥ 続きを読む♂
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# by tomhana0901 | 2013-07-07 14:45