人気ブログランキング | 話題のタグを見る

定点観察/88

定点観察/88_c0168955_652041.jpg◎江戸時代の謎:23◎江戸の町に居酒屋が登場したのは享保年間のこと。その始まりは酒屋だった。酒屋では酒を売る際に店先で味見をさせていたのだが、後ちに酒をその場で飲ませる居酒屋に変化したというのだ。居酒屋の元祖と言われた酒屋が豊島屋だ。酒を原価で売り、肴として豆腐田楽を1本2文=40円で出し、豊島屋は大繁盛。これを聞きつけほかの店でも酒を飲ませるようになった。その代表が煮売り屋、いわゆるお惣菜屋さん。そこで出された酒の肴は煮物など簡単なものだったが、1皿4文=80円と大変安く、たこの煮物などは足1本とボリュームたっぷり。安価な酒と肴で地方から職を求めて江戸に集まった男性達にも大人気、居酒屋は人が集まる社交場として発展して‥‥ 続きを読む♂
# by tomhana0901 | 2014-05-13 04:18

影男/24

影男/24_c0168955_652041.jpg影踏み鬼は影を利用した遊びの一種。単に影踏みとも称する。古くから存在する遊戯で、日本では明治30年代まで月明かりの夜に行なわれることが多く、「影や唐禄神、十三夜の牡丹餅」などと囃しながら行なわれたという。基本ルールは2つの方式がある。日影を利用するため日照が十分にある屋外などで行なわれる。《全員一斉に行なうもの》開始の合図で一斉に他の者の影を踏むことを競うもの。《鬼役を決めて行なうもの》まず、参加者の一名を鬼役として選び、他の者は建物など何らかの物体の日陰に‥‥ 続きを読む♂
# by tomhana0901 | 2014-05-09 04:49

春の一日

春の一日_c0168955_652041.jpg春一番とは春の訪れを告げる南よりの強風のことで、日本海で発達した低気圧に向かって立春後最初に吹いた南よりの強風を春一番と呼んでいる。春一番の由来は1859/安政6年2月13日、五島列島沖に出漁した壱岐郷ノ浦の漁師53人が強い突風にあって遭難してから郷ノ浦の漁師の間で春の初めの強い南風を春一または春一番と呼ぶようになったのが始まりで、1950年代後半よりマスコミで使用され一般化したという。◎ダイナミックな空が展開されていた。◎ちょっとアングルを変えて‥‥ 続きを読む♂
# by tomhana0901 | 2014-05-09 04:48

宇宙人/10

宇宙人/10_c0168955_652041.jpgニコラウス・コペルニクスは従来の地球を中心とする説、地球中心説に対して太陽中心説を唱えた。アイザック・ニュートンは『自然哲学の数学的諸原理』の第3巻「世界の体系について」において、宇宙の数学的なしくみを説明し、地球上の物体も太陽の周りを回る惑星も、それまで知られなかった万有引力というものを導入すれば数学的原理を用いて統一的に説明できる、ということを示してみせた。ニュートンが同著でユークリッド幾何学を用いつつ絶対空間・絶対時間という概念を導入したため、その後西欧では多くの人々が宇宙を無限に均一に広がる空間だと見なすようになった。しかも静的で安定的なものだと考えていた。20世紀初頭でも科学者も含めてほとんどの人は宇宙は静的だと見なしていた。20世紀になりアルベルト・アインシュタインにより宇宙の不安定な‥‥ 続きを読む♂
# by tomhana0901 | 2014-05-09 04:47

定点観察/87

定点観察/87_c0168955_652041.jpg◎江戸時代の謎:22◎歌川広重は寛政9年、江戸の火消同心の家に生まれた。15歳の頃、浮世絵師・歌川豊広に入門。後に家業を親族に譲って絵師の道に専念し、主に風景版画の傑作を数多く残した。その代表作が天保4年から順次発表された東海道五十三次だ。広重は天保3年、幕府が朝廷に馬を献上する行事の一行に加わって、京都まで旅したと言われている。その際の経験を元にこのシリーズを描いたと考えられてきたが、その説は近年疑問視されている。まず、後半の絵に「東海道名所図会」というすでに存在していた本の挿絵とよく似た構図が散見されること。特に石部の絵はよく似ている。更に京都の三条大橋の橋桁は当時石だったにも関わらず、木の橋として描いていることなどが‥‥ 続きを読む♂
# by tomhana0901 | 2014-05-09 04:46